今日は金曜日。あと8時間の苦行(仕事)に耐えれば楽しい週末だ。
何かで読んだ話なので曖昧なのだが、ドイツ人は休むために仕事をしているそうだ。実は私も同じ考えだ。欧米のキリスト教徒は仕事は楽園を追われた人類が与えられた罰だと考えているらしい。まさに仕事は罰だ。したくもないことを生活のためにやむを得ずしているのだ。そうでない人は幸せである。なので私は幸せとはいえない。毎日、あと何日、あと何日と考えてしまう。最近は日数で考えるよりも時間で考えたほうが少しが気持ちが楽になるような気がするので、残り時間でカウントをしている。例えば木曜日の夜であれば、仕事は後残り8時間という具合である。
8時間といえば鈴鹿8耐が思い浮かぶ。いっそ仕事のこと〇〇(職場の地名)8時間耐久と呼べば、少し楽しい気がするのは私だけだろうか。
昨日、初めてGoogle corabo上でstable diffusionを起動し画像を生成することに成功した。これまでにも何度か起動自体は出来ているし画像を生成したこともあるといえばある。しかしCheck Pointに「モデル」をインストールし画像を生成できたのは今回が初めてなのである。
使用した感想はとにかくスゴイ、スゴイ、スゴイなのだ。
何がスゴイかというと生成速度がめちゃくちゃに早い。わたしのパソコン(RTX1660 6GB)の生成速度と比較すると体感で1/6くらいの速度で画像を生成できる。しかもハイレゾ出力も問題なしだ。Google coraboを使用すれば、グラフィックボードを買い替えなくてもいいのではないかと思えるレベルなのだ。
しかしGoogle corabo環境にもボトルネックがある。
連続使用時間は12時間。90分以上のアイドリングでもセッションが終了してしまうそうだ。いずれも実用上問題にならないとはいえる。今回の起動時は参照したblog記事の通りに行ったものの、途中でエラーが出てしまい解決に時間がかかった
乏しい知識の中で解決は自力で行うしかなかったが、エラーをChatGPTに調べてもらいなんとか解決にこぎつけた。
現在、一番の問題はセッション終了後の再開方法がよくわからないことだ。初回は4回ほどボタンを押しセッションが始まるのを待たなくてはならないのだが、2回名以降もこの手順を踏む必要があるのかどうか。少し調べればわかると思うが、今のところは謎である。
画像の生成についても少し前進した。プロンプト「1girl」のみからスタートし、少しづつプロンプトを追加しながら画像を生成し完成させるという手法を試みた。この方法は、いきなりプロンプトをコピーペして偶然の産物を得るよりも、プロンプトの効力について学習しながら画像を生成することが出来て楽しい。若干ではあるが知識がついたような気もする。出来上がった画像はいつも通りのAIによる美麗なグラフィックではあるけれど。
画像生成は絵を描く行為でもないし、その感覚もないので絵を描くとは口が裂けても言えない。
私個人の意見としてはモデルがいて衣裳やアクセサリーをつけ、ポーズを自由に変えて、撮影場所を異動しなながら撮影する、どちらかといえば写真の撮影に近い感覚だと言える。
画像生成AIの著作権問題というのがあるそうだ。他人事のように感じていたのだが、これについて少しだけ思ったことがある。
画像投稿サイトのPIXIVにAI画像を投稿されているのを見たのだが、あきらかに違和感があるのだ。投稿している人物は何を勘違いしているのかと思う。AI画像には顕著な特徴があるため、一目で、手書きの画像かAI生成かはわかる。絶対とはいえないが、かなりの確率で区別がつくのだ。
手書き ーといってもデジタルで作成されていはいるのだがー の作品群にAI画像が混ざっているのは明らかにおかしい。場違いな印象だ。例えるなら夏休みの工作の課題としてガンプラを提出している小学生のようだ。あるいは読書感想文をChatGPTで作成したといってもよい。もしChatGPTで生成した小説自分の作品として発表したらどう思われるだろうか。
AI画像をPIXIVに投稿している「バカ」にはそのことが理解できないらしい。一体なにを勘違いしているのだろう。
AI生成画像に対する著作権問題について厳しい議論があると聞く。実際にPIXIVに投稿されている画像を見てとても納得した気持ちになった。おそらく絵を描く能力を養った人々(プロ、アマ問わず)から見るとAIが生成した画像なんかと、自分の作品を比較されたくないだろう。
AI生成画像自体はとても優れた技術の結晶だ。今後も猛スピードで進化を続けるだろう。しかしそれを扱う人間の品性や教養が低ければ、折角の技術にも?マークがついてしまうのだ。本当、バカは死んでもなおらないのである。
No comments:
Post a Comment