カスタマーサポート時代の振り返り
入社当初はユーザーサポートではあるが、コンピュータの操作や不具合診断などテクニカルサポート色が強い業務内容に、とても満足感を感じていたことを彼女は思い出した。
多少、嫌なことはあったけれど、まだまだ若かったしいろいろな専門知識を学べることは彼女にとって大きな喜びだった。チームのリーダーにも昇格をした。時給もどんどんアップした。今からは考えられないほど充実していた時期だった。この生活がずーっと続くと思っていた。
しかし入社4年目にして、この業務が地方に移管されることになり、この仕事は突然終わりを告げた。引継ぎのために、地方に二週間滞在し引継ぎも行うほど貢献した自負がある。
この後、コンピュータとは全く関係のない製品と扱うカスタマーサポートに異動した。新規立上の仕事だったので、非常に苦労をしたことを彼女は思い出す。とはいえ学べることも多かったし、クライアント企業との関係もかなりよかったので、不満があったわけではない。
異動後まもなく、スーパーバイザーに昇格をした。これは彼女の力量というよりは、会社側の都合によるところが大きかった。望んでなったわけではなかった。大きな責任を伴う管理者という立場は彼女の負担になった。本気で辞めたくなった。当時の上司とも折り合いが悪く、一時期本当に退社する寸前までいった。
しかし、前職を通してもっとも活躍をした時期でもあった。そのくらいクライアントからの信頼が厚かった。これは彼女の資質もあるのだが、元上司が戦略によるところが大きかったと彼女は考えている。
しかし、請負契約から派遣契約に変わったことから環境が大きく変わった。現場での自身の行動と、会社の評価に大きなギャップが生まれるようになった。焦点が不明瞭になったことに彼女は大きな不満を抱えていた。
この仕事をしているさなか、彼女の父親が危篤になり、それから1年を待たずに死亡した。実家には母が独り。彼女は真剣に地元への異動を考えた。会社側に異動を希望した結果、この仕事から離れることにした。かなり本気だった。
しかし、別業務をしてほしいとの会社の要請にこたえた結果、実家には戻らず別の業務に就任することになった。役割は引き続き管理者として。
この仕事は異動当初から問題が続出し、精神的に辛い思いをすることも多くなった。
それでも持前の我慢強さと責任感から彼女はなんとか耐え抜いた。
だがある日事件が起きた。
ある日、目が覚めていつもの通り出社しようとしたら、クライアントから貸与されているセキュリティカードを紛失していることに気づいた。いくら探しても見当たらない。
会社に連絡し、その日は出社不要なので、カードを探し出せとの指示だった。
なくしたのは多分、上着を脱いだときだった。カードは上着のポケットに入れていたからだ。鉄道や警察に紛失届を出し、帰宅路を何度も何度も探したが見つからなかった。
結果、現場を退去せざるを得なくなってしまった。
このとき、別現場への異動を支持されたが、不可抗力として時給を下げられた。
このころから、徐々に徐々に会社での立場が微妙になりだしたと彼女は思っている。
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